研究概要

領域代表者挨拶に代えて


中村 慎一

中国は世界最古の稲作起源地です。かつてはインドや東南アジアでの稲作発祥が想定されたこともありましたが、考古遺物という同時代資料から見て、中国長江流域においてもっとも早くイネの栽培化が始まったことはもはや疑う余地がありません。

今から1万年余り前に完新世が始まると、気候は瞬く間に温暖化に転じ、その影響で海水面も急激に上昇しました。中国の東海岸では数千年にわたり海岸線が毎年100 メートルずつ内陸へと入り込んできたのです。この時期、降雨量も大幅に増大したので、長江流域の低地は広大な湖沼・湿原地帯へと変貌を遂げました。そこで野生イネの大群落と出会った狩猟採集民の目にそれが魅力的な食料と映ったことが、イネ利用の発端であるに違いありません。

一年生の形質を獲得したイネは、他の食用植物に比べより多くの食料を供給したばかりか、絶えず新たな形質を発現させることで増加するヒトの人口を支え続けました(=集約化)。やがて、イネの栽培なくしては立ちいかない社会(=稲作社会)が出現し、さらにそこから都市という集落形態と国家という政治組織を指標とする文明が誕生しました。良渚文化に代表される新石器時代稲作文明です。

紀元前3千年紀に長江流域各地に生まれた新石器時代稲作文明も、紀元前2000年を前後するころまでには衰退し、それにとって替わるかのように、黄河中流域に二里頭文化が出現しました。それは長江流域の新石器文化ばかりでなく、東の山東、北の山西、西の陝西や甘粛など、黄河流域の新石器時代後期文化の諸要素をも取り込み、雑種強勢と言うべき強さを獲得して、四方へとその影響を及ぼし始めたのです。これこそ青銅器時代中国文明の始まりです。

いわゆる世界四大文明のうち今日まで命脈を保っているのは黄河文明(正しくは中国文明と呼ぶべき)のみであるとはよく言われるところです。ヨーロッパのギリシア・ローマ文明、メソアメリカや南米アンデスの文明をそこへ加えてみても状況は変わりません。もちろん、中国においても洪水などの自然災害はしばしば猛威をふるい、また、大規模な戦乱が絶えず人民を苦しめてきました。それでも、中国文明は途絶えることはなかったのです。

このように見てくると、1)稲作とは、空前絶後の天変地異に見舞われた中国大陸の先史人が、それを逆手にとって成し遂げた一大イノベーションであり、2)水田栽培(=湛水状態の確保)という特異な栽培形態が、肥料供給、塩分除去、雑草防除、保温などの効果をもっていたことで、長期にわたる稲作民社会の存続が可能になり、3)中国文明の強靭なレジリアンスもまた、長江流域の稲作地帯が背後に控えていて初めて達成され得たのではないか、と考えられるのです。

本領域は、こうした見通しの下、①中国におけるイネ栽培化プロセスを多角的かつ高精度に復元し、②長江流域に開花した新石器時代稲作文明の勃興と衰亡の要因を見極め、③新石器時代末期の諸地方文明を経て、初期青銅器時代以降、稲作文明がいかに中国文明の構成要素として組み込まれていったかを解明することを目的としています。

本領域には五つの計画研究が設けられています。各計画研究の内容を最大公約数的に見れば、A01=中国考古学、A02=環境考古学、A03=民族考古学、A04=農学、A05=人類学/年代学となるでしょう。しかし、この5グループは完全に排他的な関係にあるのではなく、互いに少しずつ重なりあいながら、中心テーマを漸移的にずらしていくという形をとっています。これは、分野的に研究の空白が生じないようにするための配慮です。また、各計画研究のメンバーには必ず一人以上の考古学研究者が含まれています。それは、理工系、生物系の研究の場合、その目的と結果が考古学的に、あるいは人類史的に意味のあるものであるかを絶えずチェックしながら研究を進める必要があると考えたからです。領域全体の概要を示したものが下図です。

各計画研究の研究内容と領域全体の連携・協力関係

本領域には、いまだ方法が確立しておらず、実際に実施してみなければその有用性の程度を推しはかることができない研究も含まれています。その意味で、本領域は実験の場であると言っても過言ではありません。このことを換言すれば、基礎研究と応用研究の橋渡し研究の場とも言えるでしょう。本研究の実施を通じて確立された研究手法が世界各地で威力を発揮することが期待されます。

前述のとおり、私は、青銅器時代の中国文明は、新石器時代晩期の地方文明の「交雑」によって一気に花開き、かつての辺境が中心へと転化するというプロセスによって誕生したと考えています。その雑種強勢のアナロジーは、学術研究においてもまた該当するはずです。専門分野を異にする研究者が一つの課題に立ち向かうなかで、思いもかけないアイデアが浮かび、新たな研究分野の創出につながります。中国考古学の分野で、環境考古学の分野で、そして考古科学・文化財科学全般において、本領域の創設が学史のターニングポイントになったと後々評されるような研究成果を生み出していきたいと考えています。